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ひめゆり、「別れの曲(うた)」

昭和19年、沖縄師範学校女子部と一高女の生徒たちは、陣地構築作業のため各作業場へ動員され、那覇市与儀の作業場でも 大田 博少尉の指揮のもと、作業に従事していた。
※この歌の作詞者
昭和20年、日ごろから詩や短歌をたしなんでいた太田少尉は、3月の卒業式を控えた生徒たちへ、巣立つ喜びと別れのの淋しさを歌った「相思樹の詩」という自作の詩を贈った。その詩に曲をつけて「別れの曲(うた)」となり、25日の卒業式で歌うために練習していた。しかし3月23日に戦場へ動員されたため、29日の夜、艦砲の轟くなか沖縄陸軍病院の三角兵舎で卒業式が行われた。その時、「別れの曲」に変わって軍歌「海行かば」が歌われた。
それから、戦後毎年行われるひめゆりの慰霊祭では、校歌とともに歌い継がれている。なお、ひめゆり平和祈念資料館の第四展示室では、沖縄戦で亡くなった乙女たちへの鎮魂歌として静かに流れている
※流れていた。。。

作詞の太田少尉は、福島県郡山市出身。旧制郡山商業を卒業した後、昭和19年8月に第24師団第2中隊指揮小隊長として沖縄に転属された青年将校であったが、昭和20年6月糸満市伊原で戦死した。

作曲の東風平(こちんだ)先生は、上野音楽学校(東京芸術大学)を卒業後、沖縄師範学校女子部に赴任。昭和20年3月、ひめゆり学徒隊引率教師として沖縄陸軍病院に動員、6月19日第三外科壕(ひめゆりの塔)で23才の若さで亡くなった。


・・・

別れの曲。歌ってみる。

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onryu111
Author: onryu111
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